「安保法制」強行採決と
60年安保闘争の思い出

平成27年9月19日未明、憲法違反の「安保法制」が可決された。

すでに伝えられているように、安倍首相のおじいさんが岸信介。
60年の安保改定時の首相だった人だ。

「60年安保闘争」は、とにかく、すごかった。
とにかくすごかった」という意味

以下、羅列的に言えば、

1,集まった人の数と「運動の規模」は、半端でなかった。
  
  ①国会を取り囲んだ数の多さ。
     「(国会前」ではないのです。国会を取り囲んだのです。
  
  ②全国的に数次に亘る全国の統一行動があったのです。
  ③全国の多くの都市で、商店が、一斉に店を閉め、ストライキに参加したのです。
  ④ほとんどの大学で、ストライキが行われ、大多数の学生が、
   デモに参加していたのです。(現在とは大違い。)
  ⑤高校生までもが、デモに参加したのです。(高校2年生の私もその一人でした)
  ⑥子どもが、遊びの中で「アンポ反対・アンポ賛成」と叫んでいたのです。
    私が見たのは、ゴザの端を数人でもって「おみこし」のように「アンポ反対・アンポ賛成」と
    遊んでいました。・・・安保反対の運動が、子どもの遊びにまで影響を与えていました。

  ⑦春闘や三井三池炭鉱の閉山闘争などの労働運動ともしっかり結びついいた。
  ⑧東大の学生の樺美智子さんのさんの死。(警察との衝突で死亡)
  ⑨アイゼンハワー大統領の訪日中止。
  ⑩浅沼社会党委員長の虐殺。(演説中)
      
  ⑪安保条約国会通過・・・そして、岸首相の退陣。


2,安保反対運動を押しつぶす政府側の動きがありました。

   政府は、右翼や暴力団を使って、安保反対運動をつぶそうとしました。
   岸首相が右翼と「暴力団」に安保反対勢力を押さえつけるために要請したと伝えられる。


3,60年安保闘争の後の総選挙・・・・自民党議席を増やす。
 
  
あのとき、自民党が、あれだけの安保闘争の後にも拘わらず、
  大勝利していたのです。 
 
 おぼろげな記憶をはっきりさせるために、調べてみました。
  

  この時の自民党の当選者は、追加公認を合わせ300議席、議席率は64.2%。
  大勝利だったのです。。

  
私は、自民党が、完敗し、社会党が第1党になるのではないかと思っておりましたのが、
  自民党が勝利しました。

  岸首相の後、池田首相の「所得倍増計画」が打ち出され、目先が、変わったせいでしょうか。
  自民党は、安保の痛手をほとんど受けていなかったのです。

  今思うと、いかにも、日本人らしいと「選択」と言わざるを得ません。

4,初めての「デモ参加」


  当時、私は高校2年生でした。あるとき、東京の高校生が、反対デモに出たと報道され
  強い衝撃を受けました。「ああ、高校生でもデモに出られるんだ」と思いました。

  当時、全学連という大学生の自治会の組織が、全国の都市でデモを繰り広げていて、
  警官との衝突が繰り返され、それが、新聞・テレビで放映され広く伝えられていました。
  しかし、まだ、高校生のデモ参加までは、伝えられていませんでした。
  
  しかし、ある時、東京で高校生がデモ参加したと報道されました。
  すごい衝撃でしたね。体中が熱くなりました。その次の安保反対全国の統一行動の時、
  「札幌の高校生がデモ参加」という新聞報道を見て、さらに心が燃えました。
  私の住んでいたところは、札幌の隣の小樽でしたからとても刺激的でした。

  しばらくして、朝、学校へ行くと、校門の前で、デモの参加を呼びかけるビラを配っている人が
  いて、登校してくる高校生に、その日のデモの参加を呼びかけていました。
  教室に入ると皆、校門で渡されたビラを手にしており、「どうする?」と、お互いに、気持ちを
  聞き合っていました。

  ある友だちが、私の顔を見ると「吉岡、お前は行くんだろう?」と言ったあと、
  「お前が行かないとおかしいよ」と言いました。
  それは、クラスのHRの時間、警察と衝突する大学生と安保条約に関して「討論会」が
  行われました。
  私は、大学生の支持し、安保条約反対を主張しました。
  そんな事情があって、友だちは、 「お前が行かないとおかしいよ」と言ったのでした。

  実は、内心、デモの参加に関して、どうしようかと迷っていました。なんと言っても、受験が
  頭にあり、勉強中心の生活でしたから、デモに参加したい気持ちと「時間が惜しい」という
  気持ちとの間で揺れていました。
  でも、HR討論会での発言との関係で、「お前が行かないとおかしいよ」との言葉に押されて
  初めてデモに参加しました。
  その時、多分、30名前後の高校生がおり、他校の生徒もいました。

  これには後日談があります。
  ある勤務校で(私が50歳を過ぎて)出会った一つ年上の小樽出身の人と60年安保の話に
  なったとき、高校生であった彼も、同じ集会場にいて一緒にデモに参加していたことが
  わかりました。彼は別な高校にいて、1学年上でした。
  当時、小樽は極端な小学区制であったので、あの小さな小樽が4つの学区に分かれていたのです。
  
  因みに、当時の高校は、社会の動きを反映して、学校では、「クラス討論」が行われ、全校集会で、
  教師が、全校生を相手に、「安保条約とは、どんな条約か」という演題で、説明会を開いてくれて
  いました。

  小樽でも高校生のデモ参加が報じられると、学校側の対応が変わってきました。
  私が通学した高校の方針は、「デモに参加するかどうかは、自分で判断すること。責任をもって
  行動すること」とされていました。ですから、私はその後のデモにも参加しました。
  しかし、1学年上級生であった彼の高校では、デモ参加が禁止されました。
  

5,これからの日本は、どう変わるのか?

  さて、安保法制の成立によって、日本がこの先、どうなっていくのか、不安はあるが、
  この不安な気持ちは、60年安保が通過した時を思い出させるものです。

  あの頃は、ソ連や中国や北朝鮮は、「平和勢力」と見ているいわゆる「良心的学者」や「革新世論」が
  あり、安保条約に反対することが正義だと私は信じていました。

  しかし、現在、中国の民主主義を忙殺する独裁国家。帝国主義的膨張主義。
  北朝鮮の狂気じみた独裁国家の実態。

  こうした実態が、安保法案強行採決後であっても、安保法案の必要性を考える国民が、半数を超える
  現実を生み出していると言うことか。

  手続きや審議不十分の問題を超えて「必要性」を感じている人が多くいると言うことは、それだけ、
  中国・北朝鮮の悪影響が大きいと言うことなのだ。
  さぞかし、安倍首相は中国・北朝鮮に感謝していることだろう。

  しかし、この55年、曲がりなりにも、日本が平和でいられたこと。
  自衛隊が戦争で一人も死なず、他国の人を一人も殺さなかったと言うことは、
  やっぱり、憲法第9条があったからとしか考えられない。

  今後、世界でさらなる紛争が発生し、そのたびに日本の自衛隊がどう関わるのかと
  問題になったとき、憲法第9条が、どれだけ歯止めになり得るのか。

  心配されているように、今後さらに第9条が、ないがしろにされるのか。
  いずれにせよ、日本は「ルビコンを渡ってしまった」ようだ。

6,次の選挙で国会勢力図は、どう変わるのか。
  
  結論は何とも言えない。
  60年の安保後の選挙のことを思えば、それでも自民党・公明党が
  勝つのかも知れないと思ったりもする。

  確かに、60年安保の時は中選挙区制で、現在は小選挙区制。

  選挙制度が違うから、何とも言えないが、日本人は、目先が変われば、
  すぐ、少し前のことも忘れる国民だから、先のことはわからない。

  ただ、民主党が、政権を取ったら日本は本当に良くなるのか。
  全くそうでないことが、すでに証明された。
  小沢や鳩山がいなくなっても、それは、全くわからない。
  正直、全く期待できない。

  共産党? それは、現時点では、話にならない。
  まず、自らが民主主義の政党に生まれ変わってからの話だから、
  おそらく、何十年(何百年?)も先の話だ。

  従って、私にとっては、先が見えない。希望が持てない時代、政治状況なのだ。